総本山園城寺三井寺

2月18日 年金者組合近畿ブロック支部交流集会が終了した後 三井寺へ行きました


三井寺天台寺門宗の総本山で 正式名は園城寺といいます

境内に天智・天武・持統の三天皇の産湯に用いられたとされる井戸があることから「御井(みい)の寺」と称され のちに通称「三井寺」となったとのことです



仁王門(重要文化財



1452年建立で 1601年に徳川家康により甲賀常楽寺から移築寄進されたとのこと





三井の晩鐘(鐘楼は重要文化財

1602年の再建

同行のBさんが 一つき300円の冥加金を納めて鐘をついてくれました

”ごぉぉ〜ん・・・” 

鐘の大きさから予想していたよりは 音は低くて重々しい感じ・・・なるほど荘厳な音でした





建物の中から ボコッ ボコッと音が聞こえてきました

その建物は 1600年に建立された「阿伽井屋」(重要文化財)で この中では天智・天武・持統 三人の天皇が産湯に用いたと言われ三井寺の名前のもととなった霊泉が 今も湧いているのです

建物正面の上部には 左甚五郎作の龍の彫刻があったそうですが 私は見逃してしまいました




金堂(国宝)

現在の建物は 1599年に北政所により再建されたものだそうです

ご本尊の弥勒仏は秘仏としてまつられているとのことで 拝観は出来ませんでした  




弁慶の引き摺り鐘(重要文化財

この鐘についての伝説を 入山時に頂いたパンフレットから引用します

奈良時代の作とされるこの梵鐘は むかし俵藤太秀郷が三上山の百足退治のお礼に竜宮から持ち帰った鐘を三井寺に寄進したと伝えています
その後 山門(延暦寺)との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると”イノー イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので 弁慶は「そんなに三井寺へ帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったのです
その時のものと思われる傷痕や破目などが残っています

小学4年生の時の修学旅行でここを訪れたとき ガイドの女性からこの伝説を聞いたのですが その時の「いの〜 いの〜」という悲しげな表現が今でも耳に残っています




弁慶の汁鍋

1814年に刊行された「近江名所図会」の「三井寺女人詣」の中にこの「弁慶の汁鍋」が描かれています

説明書きによると この大きなお鍋は 弁慶が所持していた大鍋で 三井寺の大鐘を奪い取った時に残していったものと伝えられていて 僧兵たちが用いたことから「千僧の鍋」ともいわれているとのこと

重さ約450Kg  外口径166.5cm  深さ93cm  の大きさ




一切経堂(重要文化財)の中の 八角輪堂

「高麗版一切経」が納められているそうです

一切経堂は室町初期の建築で 1602年に毛利輝元により 山口県の国清寺から移築されたとのこと




山歩きを始めた初期に夫の案内で 石山寺付近から音羽山へ登り 国道1号線に架かる逢坂山歩道橋を渡って三井寺へ下りてきたことがあり 小学4年生の修学旅行と共に懐かしく思い出されます

その時は時間が無くて殆ど素通りでした

今回も 広い境内に立ち並ぶいくつもの建物の一部しか巡って来れませんでした

でも4月には「年金者組合滋賀県本部女性の会」の春の行事で 桜の時期に三井寺を訪れることになっています

三井寺に到る道沿いの「琵琶湖疏水」の桜並木と 境内いたるところにあった桜が咲いている光景を想像してワクワク・・・今からその日が楽しみです



疎水の一番奥がトンネルの入り口で 出口は京都山科となります


京都側の疏水べりへ写真撮影に出かけたことも 夫との大切な思い出となっています